生涯独身で子供を持たない人生は不幸って、なんで決め付けるの?

Finmiki / Pixabay

昨日の記事でネガティブを爆発させたら、今日の朝は気持ち良く目覚めることができたの。
お料理したりちゃんと仕事をしたり、なんだか前向きに1日を送る事ができたわ。
今後の方針についてもアイデアが浮かんだし、時には闇堕ちするのも必要なのね。
ベッキーも適度に闇堕ちしていれば、あんなスキャンダルに陥ることはなかったのかも。

うん、でも人生は何度でもやり直せるよ。
これからも一緒に頑張ろうね、ベッキー。

あたしも、もっと人生に真面目に取り組むわ。
人生のモットーを「面白可笑しく悪ふざけ」に設定するの、やめようと思う。

誰か見ていて?

さて、日本はあたしも含め「結婚に興味がない人」が増えて、生涯未婚率が上昇していきそうよね。
それに伴い、現時点でも深刻な「少子高齢化」がもっと進んでいきそう。

でもね、あたし・・誰かと生きて行きたいとも思わないし、子供も欲しくないの。

だけど政府を含め、何かに洗脳されたかのように考え方の古い人たちは、それを許してくれなさそうよね。

今日は、この問題について考えてみるわ(適当ですけど・・)

生涯独身=不幸という風潮

あたしたちは子供の頃から「大人になったら好きな人と結婚して、子供を作って家庭を築くのが良い事」って、刷り込まれているわよね。
この認識って、国内外問わずあると思うのよ。

海外の童話なら、シンデレラや白雪姫は王子様と結婚するでしょ?
いつか「好きな人と素敵な恋愛をして結婚する」って、なんとなく刷り込まれていくよね。

日本のアニメなら「サザエさん」とか「ちびまる子ちゃん」とか「両親・兄妹・祖父母」がいる家族の、ほのぼのとした幸せな日常を目にして、時には揉めたりもするけれど賑やかな家族団欒って楽しいなぁって・・・これもやっぱりなんとなく刷り込まれていくと思うの。

そして、お世辞にも羨ましいと思えない大家族を特集した番組。

中にはちゃんと甲斐性があるお父さんのお家で、お母さんも子供たちも何不自由なく暮らしている大家族もあるけど、経済的に困窮していて中卒で子供に働かせている家とかもあるよね・・?

今の時代、高校にすら行かせてあげられない両親には全く触れずに、「家族のため、兄妹のために働くしっかり者のお兄ちゃん(もしくはお姉ちゃん)」っていう美談に変換して、問題に目を向けない番組制作・・・

この世間に蔓延る「家族の絆って素晴らしい!」って偽善はなんなのかしら?

意地でも「結婚して家庭を持つことは正」「一生独りなのは負」にしたいのね・・

皆と同じなのが安心で安全という刷り込み

「日本人は横並び」ってよく言われるよね。
海外の事は知らないけど「出る杭は打たれる率」は、他所の国よりも高そう。

以前、中学生の子たちにLINEグループで会話してもらって、どうやって「LINEいじめ」が発生するのか検証した番組を観たの。
会話の主導権を握る子たちが何人かいて、その子たちのペースについていけないと

「空気が読めない」

として、ついていけない子が叩かれるのね。

他の子たちも自分が叩かれるのが嫌だから、主導権を握る子たちと同じくついていけない子を叩き出す。
中には叩かれている子を庇う正義感が強い子もいるけど、その子についても

「空気が読めない」

と認定。

どうやら「空気を読む」という行為は正しさではなく「力の強い多数派につく」ということらしい。

これはあたしが嫌いな「皆そうしているよ?」「皆が言っているよ?」っていう、どこの誰か分からない得体の知れない「皆」に支配されている考え方と似ている・・

この得体の知れない「皆と一緒なら安心・安全」って考え方がどこからやって来るのかは不明だけど、

「大人なのに結婚していないのはおかしい」→結婚していないと一人前じゃない
「母親でない女は劣っている」→女友達で子供を産んだ後、やけに上から目線になるタイプはこう思ってそう

上みたいな思考回路を生み出しているきっかけになっていそう。

こういう思考の人って「自分は多数派にいるから正」と考えていて、優越感を持っているんだろうね。

でも、結婚してないから人として劣っているわけでもないし、子供を産んでいなくても女として劣ってないわよね?

多数派が自分を「正」と思う尺度はどこから来ているのかしら?

メディアが無駄に恐怖を煽る「孤独死」

ここ何年かでよく聞くようになった言葉「孤独死」

高齢化の影響で介護施設の不足(国が運営しているような安い所ね)・老老介護・孤立する独居老人など、明日は我が身の問題が浮き彫りになってきて、中でも敏感になっているのが「独居老人の孤独死」

ある程度、周囲の人とコミュニケーションを取っている人なら、孤独死したとしても発見は早いけれど、孤立している人なら酷い状態になってから発見されることもしばしば。

もしも家が賃貸なら、部屋をリフォームする費用が掛かるし事故物件になるしで、不動産屋さんは高齢者の一人暮らしには部屋を貸したがらないって話よね。
実際に断っているのは大家さんなんだろうけど。

いろんなテレビ番組を観ていると「誰にも看取られず独りで死ぬこと」をとても惨めに描いているのよね。
取材に選ばれる案件も、

・精神を病んでいて引きこもっていた人が自殺した
・社会から孤立していた人が荒んだ生活の末、ゴミだらけの汚い部屋で孤独死した

など、特に悲惨なものが選ばれている感が・・
ちなみに、この例の場合は独居老人に限らないわね。
意外と若い人なのよ。

人間ってさ、死ぬ時は独りじゃない?
「家族に看取られて大往生」でも、死ぬのは独りだよね?
なんかさ、「誰にも看取られず死ぬ」=「すごい不幸」って考え方が定着しているけど、それって誰に聞いたの?
誰にも看取られずに死んだ人には質問できないじゃん、死んでるんだから。

そもそも、死ぬ直前に「ああああああ!誰かあたしの死に様を看取ってぇぇぇ」って考えるのかな・・

これも「得体の知れない皆」が勝手に決めつけているだけなんじゃないの?

結婚して子供がいたとしても、孤独死しないとは限らないよね?
実際、あたしの親戚のおばあちゃん、子供も孫もいたけど同居していなくて一人暮らしだったから、トイレでひっそり亡くなっていたらしいわよ。

それとね、1人で生きている人を寂しいと決め付けている人が多いけど、孤独死した人たちの中には他人に気を使わず好きなように生きて、自分で納得した上で死んだ人もいるんじゃない?

「ああ、死ぬ時も自分勝手でごめんなさい。死んだ後は迷惑かけます」

なんて、一人きりでも安らかにこの世を去る人もいるかも。

他人の不幸でしか、自分の幸せを実感できない人たちがいる

結局はさ、「生涯独身が不幸」とか「子供を持たない人生は不幸」って決め付けている人って、自分とは違うことをしている人たちが酷い目に遭うのを見て、

「ほれ見たことか」

って言いたいのよ。

「自分だけは大丈夫でいたい」っていう気持ちが強くて、幸せの基準が自分自身にないのよね。
多数派に属していれば安心という価値観で、でも幸せの軸が自分自身の中にちゃんとなくて、実感できる方法は自分と違う道を選んだ人の惨めな姿。

人は多面的なのに「独り」という一面にだけフォーカスして「可哀想」と大げさに騒ぎ立てているのよ。

まあ、孤独死を恐れるあまり結婚したり子供を作ったりする人もいるだろうから、この策略は成功しているのかも知れない・・・が、そのために他人の生き方を否定するのはどうなのかしらね。

以上、あたしなりに考えてみました。
今の日本は多様性を認めようって変わろうとしていても、芯の部分は頑なに変わろうとしてない気がするのよね。
多様性を認めたら、国が成り立たなくなりそうな勢いだもんねぇ。

少子化対策のために不安を煽っているのかも知れないけど、なんかいろいろ矛盾している気が・・
日本はどこに行きたいのかねぇ。

スポンサーリンク
レクタングル(大)広告
レクタングル(大)広告

もしや・・シェアしてくれたり?

フォローする