角田光代の『月と雷』、直子に圧倒されつつ泰子にいろいろ重ねる・・

月と雷

寒波きつすぎ・・!
朝起きて、窓を開けようとしたら凍っていて驚いたわ!

こんなに寒いのは久しぶりな気がする・・

昨日まで張り切って『新年の断捨離』を行っていたのだけど、第一陣のゴミ出しが今朝終わって、ちょっと一息。
今日はのんびり過ごす事にしました。

のんびりの手始めに一週間前に図書館で借りてきた、角田光代さんの長編小説『月と雷』を読破。

わりと最近、高良健吾と初音映莉子で映画化したらしいんだけど、本も映画も知らなかったのよね・・
ストーリーはと言うと・・

「定職に就いていないが女にはモテる・智」と「智と幼い頃、短い間だが共に生活した泰子」の二人が主人公。
そして、物語の軸となる人物・智の母親の『直子』を取り巻く人間模様が描かれているのね。

なぜ、智と泰子が幼い頃に一緒に生活していたかというと、直子の生き方が『主体性がなく、ただ流されるまま』な事が大きく影響していて、この直子という女は幼い智を連れて、いろんな人に生活の世話をしてもらいながら、いろんな場所を転々としていたのよ。
新潟とか茨城とか東京とか・・・

直子は美しいわけじゃなく、頭も良くない。
物欲しそうにしているわけでもないのに、必ず誰かが助けの手を差し伸べる。
直子は智を連れて援助してくれる人にただ依存して(家事とかしない)、でもそのうち居心地が悪くなるのか、ふらっと姿を消してしまう。

その繰り返しの中で泰子の父と巡り合い、智と泰子は茨城で短期間だけど一緒に暮らしていたわけなの。

大人になった智は交際している女性から『あなたとは生活できない』と言われ、別れを告げられる。
女の言葉の意味が分からない智。
でも、直子といろんな場所を転々としてきた日々がその後に描かれ、智が「一般家庭で培う感覚」を持っていない事が読者に伝わってくる。

そして、それは泰子も一緒で「直子と智が家にやってきたこと」で母がいなくなり、両親と自分のごく普通の生活が壊れ、二人が家から去った後も家庭環境は修復しなかった。

智も泰子も『普通の生活』を知らない。

ある日、思い立ったように泰子の元へやってくる智。
直子が家にやってきたせいで家庭が壊れ、後々の自分の不幸に繋がったと感じる泰子は、智を疎みつつも受け入れてしまう。
何故か、安堵感があるから。

社会的に見てマイノリティである二人が織りなす物語。
泰子の主観が中心に物語が進んでいく感じだけど、泰子は自分の人生における「直子の存在」にすごく囚われているのよね。

読者としても何も持たない直子という女が、どうやってここまで生きて来られたのか、やっぱ不思議なのよ。

泰子は直子との出会いをきっかけに人生が捻じ曲げられたと思っているので、いつも『もしも』について考えているの。
直子と智が去った後の人生についても、『もしも』を考える。

忌まわしいとさえ思っていた直子や智との記憶。
でも、いざ再会を果たせば、直子の人生について好奇心が止まらないのよね。

何を質問しても、的を射ない返答ばかりする直子。
だけど、問うことを止めない泰子。

その応酬の中で、まるで霧が晴れるような気持ちになるのだけど・・それはネタバレになっちゃうから書かないね。

主体性がなく、流されるがままの直子。
あたしはこんな生き方は理解できない。
でも、こういう誰かが常に手を差し伸べてくれる女っているわよね。

過去に囚われる泰子の気持ちは理解できて、あたしも『もしも』について後悔することが多々あるから、やさぐれている彼女に同調してしまった。
だからこそ、泰子の心の靄が晴れた時は一緒に強く納得したわ。

人生があんまりうまくいっていない人におすすめかも。
あと、否応なしにマイノリティ属性になってしまう、あたしみたいな人にも。

毎度毎度思うけど、角田光代さんの本って面白いわぁ。

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