自分がいつか死ぬことが「怖い」のか「安心」するのか分からない。

Ambroz / Pixabay

あたしの好きな堀江貴文や勝間和代が、ビジネスが楽しいから健康なまま、ずっと生きていたい(不老不死みたいな意味で)って、前に言ってた気がするけれど・・

あたしは、手放しで生きていることを喜んでいるタイプの人間ではない。

ここで、恵まれない国の人々や過酷な状況で生きている人の話を出すのは止めてね?
そりゃ、シリアなりロヒンギャなり、戦争の渦中にいる人々や迫害を受けている人々と比べれば、あたしはものすごく幸福よ。

平和な国で文化的で衛生的な生活を送っていて、ほんと贅沢よね。
だから、自分が生きていることに疑問を感じるなんて、甘えに聞こえると思う。

でもね、人は平等じゃないから、環境や思考が異なるのは仕方ないのよ。
なので、今回は許してね。

と、ここまでは言い訳をしてみました。

もう、そんなに若くないし、加齢と共に体力の衰えを感じる最近。
20代の頃みたいに、この先も自分の人生が健やかに続いていくなんて過信もなくなったし、むしろどんな場面でも死を意識するようになった。

病気はもちろん、道を歩いている時だって、いつ事故に遭うか分からないでしょ?
飼っている犬が天寿を全うするまでは、元気に生きていたいと思っているけれど、死に関しては自分の意志だけじゃ、どうにもならないよね。

それにね、運良く生き永らえたとしても、果たしてそれが良い事なのか。

そう思うのは、老々介護やミッシングワーカーや、決して他人事ではない問題がこの国にもたくさんあって、いつか自分にも降りかかるんじゃないかと思うの。

今は、まだ体力も気力もあるから、いろんな事を乗り越えられるけど、もしも40代、50代と年を取っていて、あたしはうまくやり過ごすことができるのだろうか。

二年前にうつ病になって大変な思いをしたけれど、もしも病気にかかるのがもっと後だったら・・
あたしは、もしかしたら今みたいに社会復帰できなかったかも知れない。

なんとか、「まだ若い」と言われる年齢だったから、アルバイトとはいえ希望通りの仕事に再就職できたのであって、タイミングが悪ければ可能性は摘まれていたのかも。

そして、自分の思うように生きている現在だって、決して明るい未来に繋がっているとは言えない。

未来は不確実だから、それは生きている人みんなに言えることだけれど、あたしの心にいつも在る不安が消えることはない。

死は、いつか必ず訪れるもの。

昔は、それが怖いことだと思っていたけれど、今は分からない。

もしかしたら、死んで意識がなくなって、もう考えることもできなくなったら、全ての問題や不安から解放されて楽になれるのかも。
でも、もしも志半ばで死んでしまったら、遺していくものがどうなってしまうのか、とても辛い気持ちになる。

なら、やっぱり納得するまで生きていた方が良いけれど、でも手放しで生きることを喜べない。

それは、生活やお金の不安なのか、誰とも寄り添えないことが心許ないのか、考えてみてもよく分からないの。

今分かるのは、誰かに殺されるのも、自殺するのも嫌ってことだけ。

穏やかな毎日を送っていて、こんなに幸福なのにおかしいよね。
でも、どうして生きていることに前向きになれないのだろう?

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