ヤマシタトモコ先生の「ひばりの朝」殺そうとしなくても人は死ぬ

今日は久しぶりに漫画のおすすめ作品を紹介よ。
今回、紹介したいのはヤマシタトモコ先生の

『ひばりの朝』

「HER」という短編集を読んでから、 ヤマシタトモコ先生の作品をチェックするようになったんだけど、独特の世界観とヤマシタトモコ先生の描く男性が好きだわ。

男はがっちりしている方が好きなんだけど、ヤマシタトモコ先生の描くシャープな男性って色気があって好きだわ。

って、話が脱線したわ。

というわけで「ひばりの朝」のストーリーを、ざっくり紹介するわね!

『ひばりの朝』のざっくりとしたあらすじ

主人公の手島日波里(てしまひばり)は中学二年生の女の子。
同年代の女の子たちより、肉感のある大人っぽい体つきであることで、異性からは性的な目で見られ、同性からは妬みや嫉みを受け、学校に友達はいない。

それは家でも同じで、実父からも性的な視線を感じ、母からは「娘」ではなく「女」として扱われる。

家にも学校にも居場所のない日波里。

果たして、彼女は周囲の人間が思うような、魔性の少女なのか?
それとも、本当は年相応の少女なのか?

日波里について、複数の大人や同級生たちが語り出す。

印象的だった登場人物

日波里について語る人たちは、彼女の本質よりも、その容姿から醸し出される雰囲気に勝手な妄想を膨らませて、とてもエゴイスティック。

性的な視線や同性に対する嫉妬、人間の醜い部分が日波里を通して浮き彫りにされていくのだけど、中でもフラットな存在なのが、日波里の担任の「辻先生」

ベテランの教師である彼女は、日波里に対する周囲の噂、そして日波里が噂のような少女ではなく、年相応の未熟な子供であることに気付いている。

だけど、実母からも守られていない、日波里の苦境に気付いても、何もしようとはしない。

彼女のモノローグの中に印象的な内容があって

『大人はかつて自分が子供であったことを忘れないといきてゆけないのです』
『だから私はあなたたちを助けません』
『なぜなら、自分のすべてを壊すには十分すぎる3年間。救うにはとても足りない3年間』
『・・・きっと誰にも救えない・・・助けない』

良い教師として周りから認知される彼女だけど、生徒たちからは「偽善者」と呼ばれ、そして自身もそれに気付いている。

徹底した事なかれ主義でドライな彼女だけど、子供たちの純粋さを理解している。

もしかしたら、助ける術も分かっているのかも知れないけど、救うことはできないと諦め、気付かないふりをして傍観者になっている。

登場人物の中で一番フラットではあるけど、けっこう罪深くもあるのよね。

ただ、世の中ってこういう大人って多いと思うの。
もしかしたら、あたしも・・・

他の登場人物は分かりやすく醜い所があるのだけど、辻先生の闇の方が深い気もするわね。

作者からの印象的な言葉

「ひばりの朝」はけっこうダークなお話なんだけど、けっこう何回も読んじゃうの。

あたし自身、作品のテーマをちゃんと理解できていない部分があって、そこをすっきりさせたいからっていうのもあるんだけど、最近、読み返してみて、やっと理解できたことがあってね。

2巻のあとがきに記されている、ヤマシタトモコ先生の言葉なんだけど

殺そうという意思がなくても人は死ぬし、死ねば生き返らない。
生き返るとすれば、それは奇跡だ。

そう、日波里の周囲の人たちは、彼女を殺そうという意思があるわけじゃない。
でも、彼女の苦しみは黙殺されている。

境遇は違えど、実は日波里のような思いをしている人たちはたくさんいて、きっと、軽はずみな悪意に心を殺されている。

自分は、軽はずみな悪意を他人に向けていないか?
誰かの苦しみの傍観者になっていないか?

いろいろと考えさせられる作品でした。

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