「お気に入り」だった記憶

ふきげんよう。

いよいよ夏本番になったから、最近は夏らしい色のスリッポンが欲しいなって探してるのね。

白か水色がいいなって思っているんだけど…

ただ、なかなか理想のスリッポンが見つからなくて、しぶしぶ持っている靴を合わせている感じ。

でもさ、改めてうちの靴箱を見てみると、20足強は入るのに母とあたしの靴で満杯。

靴箱の6割は母の「お気に入りだった靴」が占めているの。

履いているところを滅多に見ない靴が埃をかぶっている…

履かないなら処分してほしいって思うけれど、黙って捨てるわけにもいかないじゃない?

いざ確認してみると「それはいつか履こうと思っていたのよ!」ってお得意の「それまで忘れていたのに要るって言いだす」が始まる。

こうやって、家中に母のデッドストックが増えていくの。

この「ほんとは要らないのに捨てられない」ってさ、「お気に入りだった頃の記憶」が邪魔して処分できないんだと思うよね。

ヨレヨレになった服、ボロボロになった靴、くたびれた鞄…

あるでしょ?
余所行きには使えないのに取って置いているもの。

かつて愛してやまなかった時の記憶が、捨てるなんてとんでもないって思わせるのよね。

逆に、あまり気に入ってない持ち物って潔く捨てられるでしょ?

まあ、そう考えると物が捨てられない母の気持ちも分かるのだけれどね…

父が死んで遺品整理している時に思ったけど、自分の勝手で必要以上の物を遺してしまうと、片付ける家族はかなりの労力が必要になるのよ。

それを思うと、死を予感していなくても普段から整理を心掛けることは必要だと思った。

かつて、どこに行くにも一緒だった「お気に入り」の物たちも、いつかはこの世から消えてなくなる日が来る。

それならば、自分の手で葬ってあげるほうがお互いに幸せかもね。

 

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