ふきげんよう。
NHKのムロツヨシさんがトランスジェンダーを演じるドラマ
「三浦部長、本日付けで女性になります。」
とても興味深い内容で、楽しみに観ているわ。
ストーリーは、40歳を過ぎるまで自分が男性であることに疑問を抱かなかった主人公が、送別会の余興で女装をしたことをきっかけに、
「自分は女性になりたかったのではないか?」
と気が付くところから始まる。
そして、家族に内緒で女装したり、同じ仲間が集まるバーに通ったりして、自分が「女性になりたいこと」を公にしていくのね。
「〇〇であるはずがない」という思い込み
ドラマの中で主人公は、自分がトランスジェンダーであることを妻と親友に報告するの。
その時のリアクションが印象に残っていてね…
あたしなりに要約すると「女好きの主人公が、本当は女性の脳を持っているはずがない」って、二人とも言うの。
主人公はスケベだし、結婚後は浮気もしたし、そんな人が「本当は女性」のはずがないと。
そうよね、この世には「男と女」しかいなくて、
「性に貪欲なのが男」で、
「性を明け透けにするのを恥ずべき事とするのが女」
って考えていたら、そう思うのかもしれない。
志尊淳が演じた「女子的生活」の主人公
少し話を変えてね、NHKではトランスジェンダーが主人公の「女子的生活」ってドラマがあったの。
これは、今をときめく志尊淳くんがMtF(男性から女性)を演じて、なかなか面白い作品だったわ。
原作の小説もおすすめ。
この「女子的生活」の主人公、面白い設定でね…
「トランスジェンダー・レズビアン」
だったの。
整理すると
男性の体を持って生まれたが、女性の脳を持っている(トランスジェンダーとしての要素)
女性の脳を持っているが、恋愛対象は男性ではなく女性(レズビアンとしての要素)
そして、主人公は女性として生活している。
ここで多くの人が「女が好きなら、自分が女になる必要なくない?男のままのほうが恋愛しやすいじゃん」って考えちゃわないかしら?
これはさ、自分の脳の性別が男性か女性かっていう「性自認」と、「恋愛対象」が世間一般とすり合っているから出る発想なのよ。
ここでいう世間一般というのは↓のこと。
体は男性、性自認は男性、恋愛対象は女性
体は女性、性自認は女性、恋愛対象は男性
でさ、「同性愛」は↓のこと。
体は男性、性自認は男性、恋愛対象は男性
体は女性、性自認は女性、恋愛対象は女性
必ずしも「性自認」と「恋愛対象」がセットじゃないことが分かるでしょ?
だから、「女子的生活」に出てきた「トランスジェンダー・レズビアン」だって成立するの。
体は男性、性自認は女性、恋愛対象は女性
体は女性、性自認は男性、恋愛対象は男性
こういう風に、1つずつの要素を別々に整理してみると分かりやすくない?
ムロツヨシのドラマに話を戻して
「性自認」と「恋愛対象」は必ずしもセットではない
↑これを理解してからだと、ムロツヨシのドラマでのエピソード、ちょっと捉え方が変わると思うの。
「女好きの主人公が、本当は女性の脳を持っているはずがない」
女好きだから「脳も男」なわけではないのよ。
女好きな男性が、女性の脳を持っている可能性だって大いにある。
絶対数は少ないかもしれないけど、人の数だけジェンダーの在り方もある。
トランスジェンダーに決まった形はない
あたしは「トランスジェンダーに決まった形はない」と言いたい。
すべてのトランスジェンダーが、性別適合手術やホルモン療法を希望しないのと一緒。
女装や男装についてもそう。
人は「自分が知っている形」でないと、すぐに無理解へ向かうと思うのよ。
そして、勝手に「分かりやすい形」に変換して誤解する。
もし、あなたが「知らない形」に巡り会うことがあったら、よく考えてから判断してほしいの。
誤解されるのは孤独だし、心も削られていくからね。