「アンという名の少女」現代っぽい赤毛のアン

ふきげんよう。

今日は久しぶりにドラマの話。

気が付いたらここ何ヶ月か、陰鬱な話しかしていなかったわ・・・

数少ない読者の人たち、よく読みに来てくれるわよね。

とか言ってみても、陰鬱な出来事しか起こらないから、また「ブスの陰鬱ブログ」に戻るだろうけど。

さてさて、今回はあたしが大好きな「赤毛のアン」が原作のドラマ

「アンという名の少女」

Netflixで配信されていて、なんとシーズン3まで制作されているのだそうな。

そう、あたしはNHKで放送されているシーズン1しか観ていない。

しかも、昨日で最終回だった。

「アンという名の少女」原作と違う見所

この「アンという名の少女」、原作よりもドラマチックな展開だったり、登場するキャラクターの背景を深掘りしていたり、今まで観た「赤毛のアン」とは一味テイストが違う。

あたしが今まで観てきたアンは、辛い運命に翻弄されながらも、持ち前の想像力で飄々と生きてきた感じなのだけど、「アンという名の少女」のアンは、孤児院でいじめられたトラウマとか、子守りとして置かれていた家で受けた折檻とかの記憶がフラッシュバックして、取り乱しちゃったりするのね。

けっこうセンシティブな女の子の印象で、まあ今風に言うと「メンヘラ」っぽい。

アンは癇癪持ちの設定だけど、主に「赤毛やそばかす、痩せっぽっち」なんかの容姿についてからかわれた時に怒ってる印象だった。

でも、「アンという名の少女」のアンは、同世代の使用人・ジェリーに嫉妬や敵意を抱いたりして、けっこう感情的な女の子なのよ。

マシュウとマリラの人間臭さ

アンの他にもマシュウとマリラの兄妹も少し違う。

マシュウは概ね原作と同じでアンの良き理解者だけど、「内気すぎて女性と縁がなかった」という設定の彼に「若い頃、ロマンスがあった」なんて背景があるのよ。

マリラについてはギルバートの父親とかつて恋仲だったって、原作でもさらっと触れられてるんだけどね。

マリラも原作よりも、もっと人間臭い女性に描かれている気がする。

原作ではアンを愛しながらも、そんなに母性的な振るまいはしないのだけれど、「アンという名の少女」のマリラは、だいぶ母性的・・・な気がする。

アンに対する共感力が高いというかね。

それに、さっきも話したけど若い頃のロマンスの話や現在の自分に対する葛藤。

マリラは結婚せずに実家に収まったことを、少なからず後悔している描写があったり、保守的な人柄でありながらもアンには自立した近代的な女性になるように促したり、なんか女の生臭さを感じるわ。

そして、物語の中ではアンは「アン・シャーリー・カスバート」って、正式にカスバート家の一員になるのだけど、原作ではたしかカスバート姓は名乗らないのよ。

マリラが、カスバート家にアンを縛り付けないために、「アン・シャーリー」のままなんじゃなかったっけ(この辺は詳しく覚えていないけど)

 

全シーズン観たい、「アンという名の少女」

大好きな赤毛のアンの話なので、書いているうちに楽しくなってしまったわ。

Netflix、前に無料体験を使っちゃったから、シーズン2とシーズン3を観るためには有料になっちゃうのよね・・・

さっさとテレビで放送してくれないかしら。

それにしても、赤毛のアンを観る度に、あたしの中ではカナダのプリンスエドワード島への憧れが強くなっていくよ。

いつか行ってみたいなぁ。

 

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