「優しい世界」の裏側

ふきげんよう。

けっこう前の話だけど、Twitterのフォロワーさんがこう言っていたの

「優しい世界が大嫌いだ」

その時はあんまよく分からなかったんだけど、最近になってなんか腑に落ちるなって出来事があってね。

詳しく言うと差別に近い話になっちゃうし、ちょっと発信はできないのだけど、この世にはいろんな「普通の水準ではない人」がいるでしょ?

でも、法律や良識では「そういう人たちを社会で受け入れなくてはいけない」って暗黙の了解みたいになってる。

ただね、それが「受容的な優しい世界」に見えても、実はその裏側には「優しい人の我慢」が隠されていると思うの。

すべての人が納得しているわけではなく、不可抗力で関わらなくちゃいけなくなった人たちの「仕方ない」が、たくさん秘められているんじゃないかしら?

だって、当事者になって思う。

あたし、すっごく嫌だもん。

でも、「優しい世界」の一員を仕方なく演じなくてはいけない。

自分よりも立場の弱い人のほうが、なぜか「権利」は強いという矛盾にモヤモヤしながらも。

つくづく思うんだけど、あたしはほんとに「人」が好きじゃない。

自分が「人」であることも苦しい。

あーあ、あたしの命日っていつなのかしら?

もしも早死にが確定しているなら、優しい世界とはさっさとおさらばして、死ぬまで好きなことしかしないんだけどな。

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