自分をすり減らす事に慣れてはいけない。

darksouls1 / Pixabay

気が付けばアラフォーの私。
「世間の目なんて気にしない」とは言いながらも、自分の生き方に迷いや疑問を感じる事はしょっちゅうです。

同年代の友達はしっかりした企業でお勤めして、家庭を築いて、年相応の大人になっているのに、あたしときたらなんかモラトリアム人間みたい・・

まあ、世の中の人間全てが同じように生きていたら、それはそれで社会が成り立たないので、あたしみたいなマイノリティは必要なのでしょう。

この国では「マイノリティ=社会的弱者」っていう扱いな気がしますが。

あたしの中には「他人と違っても平気な破天荒な自分」「なるべく社会の基準から外れないようにする常識的な自分」がごっちゃになっていて、一人の人間なのに振れ幅がすごく大きい。
「0か100」ぐらいの極端さが、身近な友達からは面白いと思われているみたい。

おのずと人生もジェットコースターみたいに緩急が激しくなって、いつも自分が望んでいない方向に進んでいく・・

周りの人に合わせたり気を使ったり、調和を保つために頑張るのに独り相撲になりがちで、自分をすり減らすだけすり減らして、最後には倒れてしまう。

原因は、

「自分が我慢すればいいや」
「いいか・・ここで譲っておけば角が立たないし」
「本当は気が進まないけど、期待されているなら」

こんな風に、冷静によく考えて出した結論だけど、他者中心の思考になっていて自分中心の考え方はしてなかったのよね。

自分の欲求を抑える事が当たり前になっていて、頭では納得しているのに、潜在意識にストレスが溜まっていく。

優等生な自分を周りの人は慕ってくれるけど、「無理をしている自分」が作り上げた人間関係は、その先にもずっと「無理」「我慢」がある。

相手を理解したり赦すのは、他人と深く関わる上でとても大事。
でも、心にもキャパがあるから、ギリギリになっている状態にもっと期待されたら、あっさり限界を超えてしまう。
それこそ、糸がぷっつりと切れて凧が空遠くへ飛んで行くように、あたしの心もどこかへ行っちゃう。

それが振れ幅が一気に振れる時なのだろう・・

散々すり減らして細く痩せた心を回復させるため、嫌いなものなんて一切寄せ付けない自由な場所へランデブー。
煩わしいなら家族とも友達とも連絡を取れないようにして、完全に「気に食わないものがない、自分だけの世界」に突入。

そう、いつもこんな感じで極端な事しかできない。

でも、これは本心を無視し続けた自分のせいで、もっと早く「心のバランスの保ち方」を理解していれば、この失敗を繰り返さなかったのかも知れない。

時には譲歩する事も必要だけど、自分をすり減らす事に慣れて、心の痛みに鈍感になってはいけない。
自分が我慢している時点で、最良だと思っていた事が実は最良ではないのかも知れないし。

残りの人生、軌道修正せねば。

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