東日本大震災時の岩手県釜石市を描いた、映画『遺体 明日への十日間』

東日本大震災が起きてから、今日で6年が経ちましたね。
当時、私は都内にある会社で働いていました。
地震が発生して数時間後、会社から帰宅命令が出たけど、電車は全路線運転見合わせ。

30km以上離れた自宅へ歩いて帰ろうとしたのだけど、途中で断念。

なんとか、結婚した姉の家に辿り着いて、テレビを観させてもらった時、初めて東北地方に甚大な被害が出ている事を知りました。

歩いている途中は、ずっとラジオを聴いていたけれど、首都圏の鉄道情報や道路の混雑状況の話題が多くて、津波のことは把握していませんでした。

しつこく続く余震の中で、テレビには気仙沼で起きた火災の様子が映されていた。
あの光景は今でも忘れられません。

辛い思い出だけど、東日本大震災で体験したことは忘れてはいけない。
今も復興は続いているわけだし、原発の事故があった福島では、故郷に帰れない人たちが、まだたくさんいるわけだし・・

今回は、東日本大震災を描いた映画で「遺体 明日への十日間」を紹介しようと思います。

DVD化されている作品なので、皆さんも是非観てみて下さい。

「遺体 明日への十日間」とは

舞台は岩手県釜石市。
東日本大震災では、津波の被害で1000人強の方が犠牲になったそうです。

原作はジャーナリストの石井光太さん。
東日本大震災発生後の十日間、釜石市の遺体安置所で石井さん本人が見てきた現状を書籍化、それを元に映像化されたのが「遺体 明日への十日間」になります。

映画の内容

釜石市の被害は津波が主でした。

犠牲になった方の遺体は、地元の消防団や自衛隊などが回収、仮の遺体安置所として指定された、廃校になった学校の体育館に搬送されてきます。

遺体安置所では、医師たちは検死や身元特定の作業に、市の職員たちは遺体安置所に訪れた人々の対応に追われる日々でした。

搬送されてくる遺体の中には、登場人物たちの知人も含まれていましたが、悲しみに暮れる時間もなく作業に追われる現状に、心身ともに擦り減っていきます。

対応しても対応しても、次々に搬送されてくる遺体・・
慣れない状況に職員たちは限界に達してしまい、次第に感覚が麻痺していき、遺体をぞんざいに扱ってしまうことも・・

そこへ、葬儀社の職員だった経験を持ち、釜石市の民生員でもある主人公が訪れます。
主人公はボランティアで遺体安置所の運営に参加、疲れ切った職員たちを励ましながら、遺体を家族の元へ返すため、奮闘します。

映画の感想

自分の生活があるけれど、混乱した状況の中で冷静でいなければいけない、医師や職員たち。
ですが、想像を絶する状況に、徐々に追い詰められていき、絶望してしまいます。

いくら対応しても終わりが見えない状況に、もしも自分だったら「投げやりになってしまうのでは?」と、胸が苦しくなりました。
そして、遺族側としても「自分の家族を遺体安置所に探しに来る」というのは、とても苦しいことで、やはり辛い気持ちになりました。

関東に住む私は、東日本大震災が発生してから数日後には、ほぼ変わらない日常生活に戻れたのに、被害が大きかった地域では、とても言葉で言い表せないような出来事が起きていた事に、強いショックを受けました。

私に何ができるか分からないけど、生き残った者として、東日本大震災を忘れてはいけないと感じています。

スポンサーリンク
レクタングル(大)広告
レクタングル(大)広告

もしや・・シェアしてくれたり?

フォローする