今日、図書館で借りてきた小説・角田光代さんの「坂の途中の家」を読み終えたの。
物語は2歳8ヶ月の通称「イヤイヤ期」を迎えた娘を育てる主人公が、生後8ヶ月の自分の娘を溺死させてしまった母親の裁判員に選ばれるお話で、期間にしてみたら10日間のお話なんだけど、とっても濃密な日々なのね。
裁判には被告の他に、被告の夫や義母に友人、実母などいろいろな人物が証言台に立ち、みんなそれぞれ違う事を言うのよ。
子育て中の主人公は被告の女と立場が近いから、自らを投影してしまって、なんだか読んでいて息苦しかったわ。
角田光代さんの小説って描写が丁寧だから、主人公の心情とか生活に引き込まれてしまって、あたしも幼い子を持つ母親になった気分だった。
「なぜ、被告は我が子に手をかけてしまったのか?」
その理由に、夫や義母・実母との関係性も掘り下げていくのだけど、それがまたリアルなのよね。
これから読む人もいると思うのでネタバレはしないようにするけど、母と娘って同性なだけに分かり合える所もあって、でも無意識のうちに嫉妬の対象にもなるのかしら?って思ったわ。
あたしはオカマだから、母親とも父親(既に他界)とも同性じゃなかったので、なんとも言えないけど。
あとはさ、主人公も被告の女も夫の言動に傷ついたり萎縮したりしていたのね。
2人とも専業主婦なのだけど、お家にいるとやはり社会からは隔離されがちでしょ。
それでさ、男ってやっぱ支配的な生き物だから、どこか「養ってやってる」=「妻は対等じゃない存在」みたいなものも感じて、こういうのって身近な一般家庭にもあるんだろうなって思った。
最近は女尊男卑が取り上げられて、妻や子供に虐げられているお父さんがよくテレビに出てくるけど、逆のパターンだとモラハラで叩かれちゃうよね。
夫としては、妻や家族を自分の守れる範囲(手の届く範囲?)に置いておくために、
「君には無理だよ」
「君がおかしいんだよ」
って、自分の知らない場所に行かないようにしているのかも知れないけど、確かにこれは傷つくよね。
横並びで仲の良かった友達が、急にレベルアップすると足を引っ張る人っているけど、この手の嫉妬とは違うんだよね。
支配なのか庇護なのかは分からないけど、自分の側に置いておきたい、新しい世界になんて気付かないで欲しい・・みたいな感じかな。
でも、こんな歪んだ愛情を受けるのなんて、たまったもんじゃないわよね。
「君には何もできないよ」って、暗示をかけられているんだもの。
暴力を振るうわけでも、暴言を吐くわけでもない・・
でも、その言葉がどんな意味を持つかで、受け取り手には愛情じゃなく暴力になるんだわ。
ほんと、考えさせられる小説でした。