『思い出が詰まっている』という思考停止。

RyanMcGuire / Pixabay

最近、めっきり断捨離モンスターと化しているあたし。
自室+実家中の不用品を整理&処分しまくって、だいぶ家の中がすっきりしたわ。

よく、『断捨離した後って、やっぱ捨てなければ良かったって後悔しない?』って質問されるけど、自分でよく考えてから納得して捨てているので、後悔なんて全然しないわ。

断捨離される物たちは、良縁じゃなくて腐れ縁ぐらいのポジションで、惰性的な関係と似ている・・

実は、なくても平気なのよね。
ただ、人間って現状維持したい生き物だから、なかなか手放せないだけなのよ。

この前、テレビの街頭インタビューで

『あなたは断捨離できますか?』

って質問をしていたのだけど、ほとんどの人が「要らないって分かっているのに、なかなか捨てられない」って答えるの。

その理由が、

『思い出が詰まっているから』

って言うのだけど、本当に思い出なんて詰まっているの?

だって、『思い出が詰まっている』とされる物のほとんどが、物置や収納の奥深くにしまい込まれていて、普段は思い出しもしない。

何かあった時に収納の中を確認することがあって、たまたま『思い出が詰まっている物品』を目にするけど、その時に懐古に耽るだけなんじゃない?

結局、いつもはずーーーーーーーーーーーっと忘れているのよ。

そんな、一年に何回思い出すかも分からない記憶なんて、現在の自分にとって何が大切なのかちっとも理解できない。

ついでに、どんなに大切にしている思い出の品々も、自分が死んだら受け継ぐ人はいない。

すなわち、ただのゴミ。

遺品整理の波に飲まれて、粗末に呆気なく捨てられていく。

大切な思い出の品が、そんな雑な扱いを受けるなら、自ら手厚く葬る方がいいと思うんだけど。
その方が、物にも感謝の気持ちが伝わるんじゃないの?

何かを失う時って、確かに寂しい気持ちがするけれど、主人に遺された物たちも不憫な気がする。

終活なり生前整理は、自分の死後に他人に迷惑を掛けないためにするけれど、自分自身も思い残すことなく死ねるようにって意味もあるわよね。

いつ死ぬか分からないけれど、できる限り身の周りは整理しておきたいと思う、最近のあたしなの。

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